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創立60周年!感慨深いものがあります。私と団とのかかわりの最初は、知人が蕨少年合唱団に入ったので賛助会員になってほしい、という依頼からでした。私が大学3年生の時でした。その後、団創設者の平林寛一先生と同じ職場に転勤したのを機に、先生から

「団運営の手伝いをしてくれないか?」という話がありました。

「音楽は好きですが、とても指導はできません。」とお断りしたところ

「いや、指導されては困るよ。庶務・会計・団員の生活指導などの面倒を見てくれないか?」というお話で、不肖ながらお受けいたしました。昭和43年秋のことでした。

当時は、「蕨少年合唱団」として全国的にも珍しい男子だけの合唱団でした。練習は、土曜日の午後児童館や公民館で行いました。演奏会も現在のように毎年ではなく、隔年で公民館でやったり、市民会館ができてからはチャリティーコンサートなども実施したりしました。

東日本少年少女合唱連盟にも入っていましたから、その加盟団体との交流も盛んでした。中でも、東京滝野川少年少女合唱団、藤枝少年少女合唱団、つつじヶ丘少年少女合唱団とは親しくお付き合いをさせていただきました。お互いの演奏会のステージでご一緒するのも楽しみでした。

蕨少年合唱団、25周年演奏会の時に女の子たちのたっての希望で、(男児が減ってきたこともあって)女子を迎え、新たに「蕨少年少女合唱団」が誕生しました。

行事としての思い出はたくさんの思い出があります。毎年行っていた夏の合宿・・・2泊3日で行いましたが、ひと頃は70余名の男子児童を平林先生とピアニストの先生と私の3人で対応するのは、若かったとはいえ大変なものでした。

加須の青年の家、秩父の民宿、苗場のおじさん・おばさんたち・・・皆さんに助けていただきました。

合宿の他には、市内の行事に参加したり、東日本少年少女合唱連盟の合宿に参加したりもしました。NHKの「歌は友だち」の番組に出演し、水前寺清子さんとご一緒したり、沖縄が本土に復帰した年に、「本土と沖縄を結ぶ少年少女合唱祭」として那覇で東日本のみなさんと演奏したり、大阪万博のお祭り広場で演奏したり、北海道放送開局記念(?)の演奏会ではるばる北海道まで出かけたこともありました。毎年行われていた東日本少年少女合唱連盟の定期演奏会に参加するのも楽しみの一つでした。(毎年3月末の春休み)いろいろな団体の先生方や団員たちとの交流も貴重な経験でした。

今後の合唱団について・・・まず団員を増やしていきたいですね。少子化の影響や、子どもたちの習い事の多様化でなかなか団員が増えませんが、歌うことの好きな子はきっといるはず!「青少年の健全育成」を目標の一つに進めてきた活動を末永く存続していく努力が、今私たちに課せられた課題であると思っています。

(新井 雅子 ・ 蕨少年少女合唱団 指導者)