LINEで送る
Pocket

『蕨少年少女合唱団』創立60周年、おめでとうございます。

 私は、今年の四月に古希(70歳)を迎えました。私と合唱団との係わりは、今から60年前で、私が北小学校の4年生の時まで、さかのぼります。

ある日の音楽授業の後に、音楽担任の角田先生から『塚本君、放課後、すぐに帰らずに、音楽室へ来るように』と言われました。ところが、私はその事を忘れてしまい、帰路についておりました。校門を出てしばらくしてから、急遽、音楽室に立ち寄る事を思い出し、あわてて学校へ駆け戻った事を覚えています。
音楽室に着くと、そこには『平林先生』と『角田先生』がいらして、遅かったねと言われ、すぐに先生のピアノ伴奏に合わせてアーアーアーの発声をするように言われました。ところが、全力疾走で来た私は、肩で息をしており、発生どころでは有りません、すると、平林先生が、合唱についての話を始められ、その話を聞いているうちに、私の呼吸も元にもどってきました。そして、改めて伴奏に合わせての発声を行いました。今思うと、この発声練習が、合唱団への入団テストだったのかなと思います。

私が、合唱団に在籍したのは4~5年生の2年弱でした。6年になった時、サッカー部が出来たので、私は合唱をやめてサッカー部に移ってしまったからです。
在籍中の想い出は、記憶が薄れており、どんな歌を習ったのか良く覚えておりませんが、『シェリトリンド』とか『フニクリフニクラ ? 登山電車』『荒城の月』…etc かな。合唱コンクールにも出ましたが、大会名も会場名も、残念ながら覚えておりません。

その後、合唱団との関係は途絶えていましたが、20年ほど前に、合唱団活動が続いている事を知り、年一回の定期演奏会には、その後毎年、欠かさず足を運んでおります。

 一昨年からは、私の姪孫が入団したので、時たま練習の送り迎えをしております。今回は、60周年演奏会へのお声かけを頂き、まさか姪孫と一緒に同じステージで歌うことになるとは夢にも思いませんでした。ありがとうございます。

(塚本 二三夫・蕨少年合唱団 第一期生)